『禅のお話』 ~鏡と心~
禅の勉強をしているとよく聞くお話があるので、この機会に記事にしちゃおうと思います。最近、坐禅会を開催して、いろんなことを勉強し直したので忘れてしまわないように文章化しようという作戦です(^^)
「心」と「鏡」って、よく似ていると言われているそうですよ。
比較もされるみたいなんですが、今回はどんな部分が似ていて、どこが決定的に違うのかを分かりやすく書いていきますね。
結果的に、この話を読んでいただいた皆さんが、ちょっとでも自分と向き合う時間が増えれば、とても嬉しいです(*´ω`*)
「鏡」の話
鏡を使わないひとって、まずいないと思います。
毎日毎日必ず鏡を見て、身だしなみを整えることは、もう身体に染み付いた習慣になっていますよね。
僕自身、身だしなみにはかなり気をつけている方なので、髪をセットしたり、眉毛を整えたり、ヒゲを剃ったりなど、出勤前にはどんなに遅刻しそうでもチェックしています(^_^;)
ちなみに、15:00くらいになると、オッサン特有の皮脂が分泌されて、テッカテカな顔面になってしまうので、必ずトイレに行って、鏡を見て、洗顔シートできれいにします(´;ω;`)
これくらい、生活には必需品の鏡ですが、こんな経験はないでしょうか??
お風呂場には、必ず鏡がありますよね。
鏡を見ながら顔を洗ったり、髪を洗ったりしますが、大きな問題がありますよね(;´Д`)
「鏡、はじめはピッカピカだったのに、メッチャ曇っちゃった!!」
そうなんです。
鏡って、はじめはすごくピッカピカで、写り込んだものをキレイにありのまま写すんですけど、使い込んでいくとメッチャ曇ってくるんですよね(泣)
アレ、なんとかなりませんかね・・・
曇り止めとか、ウロコ汚れ取りクリーナーとか、やってみましたけど、ほとんど効果ないんじゃないですか?っていうくらい、もとのようにはもうキレイにはならないですよね。
「まぁ、鏡だし、もうちょい曇ってきたら買い替えちゃえばいいか。」って思っちゃいますね(^_^;)
「心」の話
こどもって、とんでもなく純粋ですよね!!
「なんで?」「なんで?」って質問しまくってくるのも、純粋に、ただ知りたいからです。
大人になると、なんだか恥ずかしかったり、馬鹿だと思われたくなかったり、自分を守るためだったりで、なかなか素直に質問ってしにくくなりますよね(^_^;)
聞けばいいだけなのに、他人にどう思われるかを気にして質問できない。
こどもって、なんでも「欲しい!欲しい!」って言ってきますよね??
なぜそんなことを連呼して言ってくるのか。
単純に、欲しいからです。
自分の感情や考えに、なんの疑問も持たない純粋な存在がこどもです。
大人はどうでしょうか。
欲しい物があっても、「今月は出費が多いから、やめとこう」とか「これじゃなくても、似たようなもので、もっと安いのあったしそれにしとこう」とか常識的で保身的な判断をしてしまいます。
それが、大人です。
自分の感情にリミッターをかけて、常に自分の周囲からの評価を気にしてしまう。
自分の考えに素直になれない、周囲に溶け込んで目立たないように神経を研ぎ澄ませて、もともと持っていたこどもの純粋さを失って、不安、悩み、ストレスを抱えてしまう。
「心って、いろいろ経験して、その都度いろんな感情に振り回されることを繰り返していくうちに、純粋さを失い、曇っていくと思いませんか??」
心は、使えば使うほど、消耗して曇っていくものなんです(´;ω;`)
しかも、簡単には純粋さを取り戻せないですよね(;´Д`)
「鏡」と「心」の話
鏡と心の話をそれぞれ書いてみました!
共通点が結構ありましたよね(*´ω`*)
・使えば使い込むほど曇ってしまう
・はじめはメッチャ透き通っていて、純粋で、ありのままを映し出す
・一度曇ってしまうと、簡単にはもとに戻せない
鏡と心は似ているんです。
異なる点は、モノなのかモノじゃないのか。
鏡は買い替えてしまえばいくらでも代わりのものはありますよね(^^)
ただし、心は取り替えることはできません。
当たり前ですが、もう一度書きます(;´Д`)
心は取り替えることはできないのです!!
では、曇ってしまった心はどうしたら良いのでしょうか・・・
あッ!!
ここでいう曇った心とは、病んでしまった心のことです(^_^;)
様々な経験を積まれて、いろんな自分の感情と向き合ってきた素晴らしい心は、例えるならば、「世界にひとつだけの、研ぎ澄まされて、めっちゃいい感じになった鏡」です。
曇るのとは違いますのでご理解ください(^_^;)
曇った心をどうするか
禅では、坐禅を通して自分の曇った心をキレイにしていきます。
坐禅や瞑想は、いうなれば、「心の整理術・心のゴミ掃除」です。
あらゆる感情や、不安、悩み、ストレスを受け流すことが重要です。
決して、とらわれてはいけません!!
とらわれ、執着したところでなにも変わりません。
人間の脳は、「忘れること」に特化しています(*´ω`*)
3年前に自分がどんなことで心を悩ませていたか覚えていますか??
5年前、10年前は??
はいッ!!
もちろん、覚えていません(笑)
めっちゃ記憶力よくて、鮮明に覚えていらっしゃる方がいたら、すいません(;´Д`)
ひとの悩みとかって、自分で解決できるものと、時間が解決してくれるものがあって、後者の場合、いくら考え、とらわれ、執着したところで解決しません。
最悪の場合、心を本当に病んでしまいます・・・
坐禅の取り組み方についての過去記事です。興味がある方は是非!
坐禅のテクニック「数息観」で雑念を流していきましょう!!
坐禅中は「数息観」といって、ひたすら自分の呼吸を数えることにだけ集中します。
1~10までをひたすら数えます。
自分の呼吸をひたすら・・・
雑念が湧いたら、雑念が湧いてしまった自分に気づいてください。
そして、雑念を受け流して、またひたすら呼吸を数えていきます。
たぶん。
たぶんですよ!
5まで数えるまでに雑念は湧きます(;´Д`)
ある意味、この坐禅のテクニック「数息観」は脳トレに近いものがあります。
要は、自分の集中力がどれくらい保てるのかが分かるんです!
数字を数えるよりも簡単な脳の作業ってないんです。
その単純作業がどれくらい維持できるのかが、自分が今持っている集中力のレベルなんです。
安心してください(*^^*)
筋トレと一緒で脳も鍛えられます!
腕立てと一緒で、坐禅を組み「数息観」繰り返すことで、数えられる呼吸の数はどんどん長くなります!
ですから、継続的に続けることが大事です!
まぁ、なにごとも続けない限り、自分の力にはならないですからね(;´Д`)
重要なのは、「湧いた雑念にとらわれずに、受け流していく」ということです。
時間が経てば、いずれ忘れてしまいます。
そんな、悩みや不安やストレスで思い悩むなんて、時間の無駄です!
どうせ忘れちゃうんですから(笑)
ポジティブにいきましょう(*´∀`*)
禅語「一切皆苦」の記事です。心を軽くしちゃいましょ(^^)
おまけ
あッ、それと、坐禅や瞑想をすると「セロトニン」という神経伝達物質が活性化されて、脳が自分は幸せなんだぞぉ~という意識を持つようです!!
「幸せホルモン」と呼ばれているような・・・
他にも、日光を浴びたりすることで活性化されるそうです(*^^*)
坐禅や瞑想が身体にも心にも、いい影響をあたえてくれることは、科学的に実証されていることなので、興味を持っていただけたなら、是非、実際に取り組んでみてください。
そして、1日5分。
いや、1日3分でもいいので、ご自宅で坐禅を組むことを生活の一部として取り入れてみてはどうでしょうか??
みなさまの心が澄みわたり、健康な心を保てますように(^^)